ニノ・ペペローネ

コラムColumn

コラム2~演出と個性~

先日あるお客様に。“イタリアンの人(料理人)っていうのは、歌なんか歌いながらもっと楽しそうにやる(調理する)んじゃないの?”と言われました。
私の調理する姿はどうもそれらしく映らなかったようです。
以前私もこのお客様が言うようなイタリアンのシェフをイメージしてカウンター内で鼻唄をうたいながらフライパンをふっていた頃もありました。
確かにそのほうがイタリアンのイメージなのかも知れませんが、味が思いどうり極まる日は鼻歌のリズムでも良いのですが、そうでない日は鼻歌どころではありません しっかり味も極められないのに演出的に歌なんぞ歌いながらお客様に食べていただくものを調理するというのは、本物がやる行為ではないと思えてきたのです。
イメージも演出も大切なことでイタリア料理店は特にそのへんを付加価値として売りにしていることが多くお客様をイタリア気分に導いて行く大切な要素には間違いないわけです。ただ不自然な行き過ぎた演出は、こっけいに見えたり イタリアンに限らず演出ばかりで中身の薄い場合は静岡の客をなめてんのか?と腹が立つことすらあります。しかしそんな店がご繁盛だったりすれば、なめられてもしかたがない、むしろビジネスとしてはソフトもハードもターゲットの喜ぶカタチをうまく提供しているわけで正解なのだ。いずれにしてもそれなりの考えに基づいた努力があってのご繁盛で腹が立ちながらも学ぶべき処がある訳です。 が善きにつけ悪しきにつけ演出先行型は経営上資金の割り振りからも私の店では不可能なバランスでしょう。調理における演出に関しては美味しく安心できるものをつくりお客様に満足していただくという目的に向かいベストを尽くす姿勢の方が自然体で今の私には鼻歌クッキングよりも本物に思えるのです。それにそんな緊迫したような調理スタイルの中でもメリハリや自分の世界が有り私自身はそこそこ楽しくやっているのです。 

これに近い感覚を「個性」または「個性的」という意味のありかたに思うことがある。
本来個性というものは個が持ち合わせているものが、何らかの行為をした時その行為の所作や結果に自然ににじみ出て来てしまうようなものだと思う。わざとらしく取って付けたような癖や奇をてらったようなアクションは本当の個性的な作品やありさまとは映らないのです。ポップス音楽から例をあげてみると“スターダスト”とか“煙が目にしみる”といったようなスタンダードナンバーと呼ばれる曲やジョンレノンの“イマジン”などの名曲と言われるような過去に何十人何百人というプロの歌手が歌った楽曲を現代の歌手が新たにカバーしようとする場合、歌い手はなんとか他の歌手が歌ったものとは違う自分だけの個性的なものにしたいと考えるのかも知れない。
その結果妙なアレンジやわざとらしい癖によって曲の持つ良さが消されてしまい、もはや名曲でも何でもない単なる駄曲の印象しか持てない仕上りになってしまうこともある。自分の個性で原曲とはまったく違う印象の曲に仕上げようというチャレンジもいけないとは思わないが、中途半端な個性では原曲を超えられるわけもなく名曲の良さを壊してまでも創り上げる意味はないものになるケースが多い。それ故にスタンダードナンバーはスタンダードナンバーと成り得たたわけだ。逆に10人の歌手に同じスタンダードナンバーをほぼ原曲のアレンジで同じ条件のもとに歌いやすいキーでできる限り正調で歌ってもらったものを録音し聴き比べてみれば正調で歌ったとはいえ十人十色のものになるはず。そこに出て来た違いこそがそれぞれの歌手が持っている本来の個性だと思う。

スタンダードナンバーやクラッシック音楽など唄い演奏し継がれてきた名曲というものは完成度が高く歌手や演奏家、楽団それぞれの持ち味が自然に現れた程度の個性を感じ取る位のほうが聴く側は心地良く聴けるものだ。という持論が私にはあるのです。このような認識のもとにわざとらしい演出や個性、奇をてらったような料理はニノ・ペペローネの価値観には無い。歴史あるイタリア料理に敬意をはらい手を抜かず基本に忠実なソース類と調理技術を基に各メニューの広がりがあり、伝統ある定番イタリア料理はその定義からかけ離れたアレンジはしないことが私の中ではニノ・ペペロ-ネの正しい在り方だと考えています。その中にあってもニノ・ペペローネというイタリアンが個性的でありえるためには、なにより私自身が料理をはじめとしてトータルで店を正しくプロデュースできるだけの真に深い個性を有することが不可欠になるわけですが、精進はするものの未だ力量が理想に追い付いていない。
また私のような考え方による飲食店がこれから先静岡で受け入れてもらえビジネスとして成立していけるのか?という不安もある。静岡の皆様の正当な評価ご理解ご協力が何にも勝るニノ・ペペローネの向上と存続の力となることだけは間違えのないところなのでどうかよろしくお願いいたします。
(予談)
個性的な発声のシンガーと言うとボブディランが思い浮かぶのですが1985年にクインシ-ジョーンズのプロデュースによりアメリカの名だたるポップスシンガーがCBSソニーのスタジオに集まり完成し世界に発信した“ウィ ア― ザ ワールド” の収録の際リハーサルか1テイク目ボブディランのパートを彼が歌った後、クインシージョーンズから“もっとボブディランらしく歌ってくれ”という注文を出されたそうだ。要するに彼独特の吐き捨てるような癖のある歌い方をもっと誇張してもらいという注文なのだが、当のボブディランは、どういうことで、どう歌っていいのか解らず困ってしまったらしい。ディランにとってあの癖のある歌い方は彼の自然体から発せられているもので、意図的にやっているのではないまぎれもない個性なのでしょう。 
だから“もっとディランらしく”と言われても本人は困ってしまったという訳です。結局、一緒に居合わせた他のミュージッシャンがボブディランの歌い方の真似をして本当のディランにボブディランらしい正しい歌い方を指導したという わけのわからないエピソードがあったそうです 本物なんですね!!

2009/4

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