第1回 イタリアという国、イタリアの人

イタリア料理を話す上でまず初めにイタリアと言う国とイタリア人気質みたいなものを話しておかねばならない。

そもそも「イタリアには、イタリア人はいない・・・!!」
あのブーツのような形をした国の中にいるのはナポリ人だったりローマ人だったりフィレンツェ人だったりミラノ人だったりするわけで、それぞれに土地の匂いがする人たちがいると言う意味である。

料理に関しても同じことで、ナポリ料理があったりローマ料理があったりするわけでイタリア料理と言う言い方は漠然としたイメージでしか私にはとらえられない。 元々、都市国家だった為だろう。

イタリアの人はアングロサクソンやゲルマンの人々とは違い背もそんなに高くないし髪の毛の色も黒っぽいし、人なつっこい彼らの気質は、我々にはとて も親近感が持てる。ただ、その祖先が狩猟民族だった彼らは、アゴの力が強 く骨格も特に腰の周りなどは我々と比べ物にならない頑丈さである。

そして何よりも我々と違うのは「食」というものに対する考え方の違いだ。 日本人だって食を大切に考えているには違いないが我々のそれとはやや大切 さの次元が違うように思う。

日本人は、食事の時仕事がらみの電話がかかってくればそちらを優先してしまう傾向がある。食事をそこそこに切り上げてでも仕事を優先しなくてはならないことがしばしばある。

ある時、私の店で食事をしていた近所の会社のサラリーマンの人に彼の会社から 3回呼び出しがかかり彼は食事中に3回も店と会社を行ったり来たりした事があった。 イタリアでは、特に南の方では考えられないことだ。

「仕事だから」「仕事なんだぞ」仕事第一がとりあえずまかりとおる国が日本であるなら「食事中ですから」が大義名分としてまかりとおる国がイタリアである。

また、日本人の場合友人関係も仕事がらみが多く、生活、人生そのものが仕事がらみで固まっているケースが多いのに対し、イタリアの人は人生そのものを食と共にとても豊かに楽しんで生活しているように思える。

日本では昼休みは1時間。しかもその中で食事もすませなければならない。食事は食事の時間があり、休み時間は休み時間が・・・これがイタリア的考え方。しかもこれが2時間もあったりするのは、そんなに珍しくないようだ。

人間の営みの中で食というものが、とても重要なものである事を認識し大切にしているのだろう。それは食を楽しむ事に通じているのだ。重要だからこそ楽しみたいのがイタリア人なら日本人は重要だから真剣なんだろう。

だいたい食事の時間が楽しいというのは、人間にとって、とても健康的なことではないかと思う。それを第一に考える事は、精神的にはとても健康的な考え方だろう。小さな事にくよくよ、カリカリしていては、食事はうまくない。だったらくよくよカリカリするのはやめた方が食事はうまい。第一に食事を楽しむ事が優先であるなら必然的にそうなるのだ。「腹がへっては戦ができぬ」的日本人に対し楽しく食べる、おいしく食べる為に生きているかのようなイタリアの人々だ。

先に地方ごとにそれぞれの料理があることを話しましたが、大別すれば北部、中部、南部。もっと乱暴に分ければフィレンツェあたりから北イタリア、南イタリア的料理に分けられる。

次回からはこの北と南の料理の違いやイタリア料理の骨格的な事、レストランのジャンル分け、パスタの事、本当のマナーとは・・・、きらわれる客好かれる客、イタリアブームと言われて10年以上もたつのに今だにイタリア料理の楽しみ方、食べ方がさっぱりわかっていない寂しさ。

イタリア料理=パスタ的考えは、もうそろそろ卒業して欲しい。などなどわかってもらいたい事を話して行きたいと考えています。

~1999/6/3掲載~